読みたいコト

読みたいこと リレーエッセイ 思い出を塗るペンキオズワルド 伊藤俊介

text:Shunsuke Ito
Illustration:yuu mori

子供の頃、母が迎えに来る車は軽トラだった。塗装業に勤めていた母は、仕事終わりにそのまま少年サッカーの練習を終えた僕を迎えに来てくれていたのだが、機材やらペンキの材料やらが積んであったあの車の中はシンナーの臭いで溢れていて、周りの同級生たちは普通の子供では嗅いだことのない臭いに困惑していたのを覚えている。ただ僕にとってはとても落ち着く匂いで、大人になってからもあの匂いを嗅ぐと母と軽トラで家に帰る道のりが浮かんできてとても懐かしくなるのである。

 

自分が車に乗れるようになってからも、よく母の軽トラを借りて運転していた。地元の友達を乗せたりもしたけど、僕と少年時代を共に過ごした彼らはもう慣れていて、大人になってからはみんな当たり前のように乗り込んでいた。だからかわからないが、みんなが初めて自分の車を買いだした時、僕はみんなみたいに渋めのセダンは買わずに、業務用のバンを買った。安かったのもあったけど、なんだか懐かしさが込み上げてきて、なぜだか他の車なんて考えられなかった。僕にとっては宝物のようなマイカーだった。もちろん女の子を乗せた時のこれが苦笑いじゃないならなにが苦笑いなんだという表情は忘れられないけど。

 

今でも母は塗装業に就いている。たまに地元の千葉に帰ると駅まで母が迎えに来てくれるのだが、車の中のあの匂いだけは変わらないまま。いつもの道のりの風景が千葉に帰る度に変わっていく中で、僕にはあの頃の風景に見えてきてとても安心するのである。ああ帰ってきたなあと。様々な思い出の中で、あれに触れたらあの頃のことを思い出すなんてことがあるかと思うが、僕にとっては軽トラに乗るという行為は紛れもなく地元の千葉を思い出す上で最もチョロいトリガーの1つである。今から僕が自分の車を買うとして、軽トラを選ぶことはほぼ100%ないだろう。それでもやはり僕は、たまに地元に帰っては、母のあのシンナーの匂いがする軽トラに乗り込んで、少しだけ千葉に居た頃の気持ちを染みこませ、またこの匂いの届かない街で歩き続けるのである。

オズワルド 伊藤俊介/1989年、千葉県出身。2014年11月、畠中悠と漫才コンビ「オズワルド」を結成。M-1グランプリ2019、2020、2021ファイナリスト。