
どこかコンビニ前の駐車場に車を止めることができたらしく、首都高を降りてからもう八度目くらいの電話をかけてきたお母さんは、
「なんでこんなにコンビニに駐車場がないのか」
と、ずっと同じ文句を言っている。そのたびにわたしは東京のコンビニは駐車場がないもんなんだよ、とこたえた。
「前来たときと、道がぜんぜん変わってるんだけど」
と、お母さんはぼやきながら電話を切った。
このあたりの景色だけじゃない。この一、二年で、東京全体のようすはずいぶん変わった。大きな理由はふたつある。ひとつは予定されている大きな国際大会のための準備だった。会場の近くには太い道やトンネルができた。大会の会場に関係ないような小さい街でも、国際的な集客を当て込んでか、ていねいに整えられ、地下鉄や私鉄の駅舎は新しくなり、出口が変わって駅前は再開発され、駅を出たときの景色にとまどうことも多い。もうひとつの理由のほうは、計画されたものではなく、まったく予測のできないものだった。駅からアパートに帰る道にあった小さい店はいくつもシャッターが閉まっているし、チェーンの店舗が入っていた雑居ビルの一階、路面部にさえ、薄暗いガラス張りの壁面にテナント募集の紙が貼られている。予測できなかったこのできごとは、東京だけでなくて世界中で起こっていた。
予測して計画された変化と、予測のできなかった変化の両方で、東京はたぶん母が以前に来たときよりもずいぶんと変わってしまっている。
来なくてもいいのに、こんな時期だからと何度言っても、母は地元で開始されてすぐ予防接種を受けに行き、郵送キットを使った検査まで受けて、車でやってきた。アパートの一番近くにあるコインパーキングに着いたと連絡があったとき、もうすでに夕方を過ぎていた。迎えに行くと、相変わらずのサーモングレーのカーディガンを着たお母さんが、ベージュ色の軽自動車の後ろを開けて、そこから段ボールを抱えて降ろしている。二年前、お母さんが腰を痛めていたことを思い出して、私は慌ててその仕事を引き継いだ。ふたつある段ボール箱は、想像の三倍は重かった。
「なに入ってんの、これ」
「なにって、缶詰とか、トイレットペーパーとか、ほら、あとマスクとか消毒の。こっちでも足りないんでしょう」
「大丈夫だよ。ハンドソープも消毒薬もひとりだからそんなにたくさん使わないし」
「でも、あって腐るものじゃないでしょう」
広い物置のある田舎の実家とはちがうんだよ、と言いながら私は母親とひとつずつ段ボールを抱えてアパートの部屋に向かって歩いている。
「お腹減っちゃった」
お母さんが、突然言う。
「コンビニでなんか買ってこようか」
「あんたいっつもコンビニばっかり」
とお母さんは言ってから、
「お母さんね、あのニラ春巻きと五目そばのお店に行きたいんだけど」
と提案してきた。わたしがなんだっけ、それ、と言うと、
「あんたがこっちに越してきた日に食べたじゃないの。お父さんと三人で」
と母がこたえた。
「あー、駅の南側の。あのお店、もうないんじゃないかなあ」
「うそ」
「わかんないけど、この辺はしょっちゅうお店できたりつぶれたりしてるし」
「あそこ、お母さんくらいのご夫婦でやってたでしょう。長く続いてたお店なんじゃないの」
「よく覚えてるね」
あそこに行ったのは父親がまだ元気なころで、もう六年も前だった。わたしはそれからずっとここに暮らしているけれど、あの時からあのお店には入っていない。特別ものすごくおいしかったという記憶もないし、ひとりのときに行くようなお店でもなかった。ここ最近は駅ビルに入っているファーストフードのテイクアウトとか、デリのサンドイッチばかりを食べていて、思い返してみれば南側の商店街自体あまり行かなくなっている。
「じゃあ行ってみようか」
久しぶりに、なんとなくそのお店に行くのもいいな、と思う。19時ちょっと前、ここ最近の早く終わる営業時間でもまだ間に合いそうだった。やっていて欲しいけれど、こんなご時世だから廃業していなかったとしてもシャッターが閉まっている可能性は十分にある。荷物を部屋に置いてから、わたしとお母さんは駅の南側に歩いていった。
「あのお店、ちょっと面白かったよね。入ったところに水槽があって、大きい金魚がいてさ」
お母さんが、前に踏み切りだった場所を歩きながら言う。ここは数年前まで開かずの踏切と言われていたけれど、今はもう線路が地下に潜って遊歩道になっている。線路沿いに建っていた家の脇には、なんとなく所在なげに見える真新しい生け垣が並んでいる。お母さんはその中華料理店のようすをとても詳しく覚えていて、わたしはすこし意外な気がした。わたしのほうは、引っ越してすぐ何を食べたかなんて、お母さんに言われるまで思い出せなかった。引っ越したてでキッチンに道具を出してもいなかったし、しばらくは外食ばっかりだった記憶はあるけれど、あの時、引っ越してすぐの数日間、わたしは何を食べていただろうか。
「ああ、ほら、やっぱりある」
お母さんは声を上げて、早歩きになった。古い中華料理店は灯りがついていて、くすんだ赤いのれんも出ていた。入口の引き戸の横にある埃じみたサンプルケースも、その表面に貼られっぱなしの〝冷やし中華〟の貼り紙も、空の岡持が置かれたカブも、たぶん私がこの街に来たあの日と変わっていない。厨房の通風孔からは胡麻油の香ばしい匂いがぷうんとした。引き戸を開けると、若い声でいらっしゃい、と声が聞こえる。アルコールを手にすり込んで、席に着きながら、マスクを取らずに小声で、
「娘さんかね、年齢的に、そんなかんじだよね」
というお母さんは、なんでか全然わからないけれど、マスク越しにもわかるくらい嬉しそうだった。
高山羽根子/小説家。2010年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、16年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。20年、『首里の馬』で芥川賞を受賞した。