
セツリさんは車の外のほうを向きながら、さっきからずっと、しきりにカーディガンの袖口のところ─編み目のほつれなのか、もしくはご飯粒でもこびりついて乾いているのか─を、気にしているみたいだった。まだあまりこの辺をうろうろしていない、というので、セツリさんに車でこの辺を案内しましょうといったのはぼくなので、退屈だったかもと不安になる。セツリさんはそれでも、
「えっ、イオウ島って伊に王って書くんだ」とか、
「灯台でかっ」とか言いながら、なんとなく楽しんでくれているようでもあった。
セツリさんは海沿いといっていいくらいの場所に物件を借りて暮らしている。職場から特別に遠いわけじゃないけれど、市内でももうちょっと色々便利なところがあるのに、と周りには言われている。セツリさんはそれに対して、なんとなく、まあ安いし、とか、特に不便もないし、とか、反論というほどでもない言いかたで、のらりくらりといなしていた。
ただ、このあいだセツリさんが残業中の僕に、
「蜃気楼って知ってるかい」ときいてきたことがあった。
「シンキロウって、砂漠でオアシスとか見えるやつですか」と訊き返すと、セツリさんは顔をしかめて、そうなのか……そうか? と自問したあと、
「それは極限状態の人が脳内麻薬で見る幻覚なのでは」と言って、
「私は富山県の出身なんだけど、富山には蜃気楼が有名な海があって、その蜃気楼っていうのはもっとこう科学的な、海と空気の温度の差とかそういう理屈で起きる自然現象みたいなものなんだよ」と続けた。
その日家に帰ってから僕はシンキロウについて調べてみた。蜃というのはハマグリのことで、楼は建物という意味の言葉らしい。ハマグリの呼気が見せるマボロシの建物なのだという。言葉だけ見るとやっぱり幻覚的というか胡散臭い感じがするけど、富山の蜃気楼は確かに科学的な理由がある現象によって、あるはずのないビル群みたいなものが見えるのだという。写真画像を見ていて、僕は気がついた。
端島みたいだった。海に直接町がにゅっと生えているみたいな。
だからセツリさんは、わざわざあの海岸沿いに住んでいるのかもしれないと、僕はそういうふうに考えた。
車を停めて降りて、海岸を見ている間にも、セツリさんはずっと袖口をいじっている。
「セツリさん、端島って、まえに言ってた蜃気楼みたいですよね」
「ああ」と、吹き付ける風に目を細めながら、顔をあげて端島のほうを見るセツリさんは、なんだかいつものんびりした女性だった。会社では僕のほうが先輩だけど、関西の支社から移ってきたセツリさんは僕より(直接きいたことはないけれど)五歳くらい年上だ。僕はセツリさんと気が合う。僕が勝手にそう思っているだけかもしれないけど。
「セツリさんは見たことがあるんですか、蜃気楼」
「ない」
「ないんだ」
「蜃気楼って、めったに見られるもんじゃないんだよ。一年のうち一回も出ないこともあるし、ランクがあって、上のほうのは何十年も見られない。海の上に無いはずのビルとか橋が見える。アレはずっと見えるから、おもしろいよね」
と、セツリさんは手を目の上にかざして端島のほうを見ながら続けた。
「実際には住めない、暮らせない場所ってのも蜃気楼みたい」
「昔は住んでたんですよ、いっぱい。今は廃墟ですけど」
「なにワタナベ、あそこに行ったことあるの」
「ないです」
「ないんだ」
「行きたいですか。行きましょうか。釣りとかツアーで行けたりしますけど。県外の観光客に人気もある」
「いやあ、なんか行っちゃうのはちょっとちがうんだよね。行くことができないからこそ蜃気楼っていうか」
「理屈っぽいなあ」
「そういうもんだよ」
「そういうもんですかねえ」
「ときにワタナベ、このあたりってアザラシいる?」
「へ? ……いや、いたらそれなりに話題になるぐらいには珍しいんじゃないですか」
セツリさんはふうむ、と呟いて、両手を抱えるように形を作り、
「こないだここで双眼鏡で島見てたら、砂浜にアザラシがいた。こんな胴体が太い、たぶん大人のアザラシ、アシカ? トドとかよりはさすがに小さい感じだった」
「まじですか、それどうしたんですか」
「どうもしないよ、見てた。アザラシの横に座って、島見てたよ」
「逃げなかったんですか」
「うん、でさ、しばらく見てたら日が暮れてきたんだよ。そうしたら横にいたアザラシが海に入っていったんだよね。海面に丸い頭だけ出して、波に隠れたりしながら、島のほうに器用に泳いでったんだ」
「まあ泳ぎは器用ですよね、普通」
「で、しばらく双眼鏡でそれ追ってたら小さくなって見えなくなって、日が暮れてきてて、そのあともずっと見てたら」
セツリさんは島を指さして、
「あの島の、真ん中よりちょっと右側のあの辺の建物のうちひとつの窓に、灯りが、ぽって、ついたんだよ。だから、私さ、あそこにアザラシが住んでるんだって気がついたんだ」
「それマボロシですよ」
「本当にいたんだってば、アザラシ。で、灯りも確かについたんだよ。人住んでないのに。まちがいないんだって」
「そうじゃなくて……まあアザラシは本当にいたとして、島に灯りが、なんかの事情で本当にそういううまいタイミングでついたとして、その因果関係、セツリさんが読み取った、その〝隙間の理屈〟がマボロシっていうか」
「えー、そんなジャンルのマボロシなんてあるか?」
「ハマグリが建物を見せる、っていう謎の因果関係とおんなじですよ」
「みんな見えてるところをつなぐその間を知恵と想像力で補塡してきて、人類ってもんは進化してきてるんだからさ、マボロシぐらい大目に見て真実としてよ」
「なんかすごい独特な理屈ですね」
セツリさんは僕が納得していないことに納得していないみたいだった。
というか、そもそも僕は、この海岸にアザラシがいたというセツリさんの話についても実はまだ、疑っている。
高山羽根子/小説家。2010年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、16年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。20年、『首里の馬』で芥川賞を受賞した。