知りたいコト

うちの殿様、どんな人?

text:Yasushi Oishi
illustration:Toru Morooka

筒井順慶

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映も再開され、10月には舞台が福井から畿内に移りました。これに合わせてクルマで、〝国衆をめぐる旅〟に出かけませんか。国衆は城を交通の要所に設けたので、現在の旧道を巡れば彼らの城を〝訪問〟できます。

国衆とは、戦国時代に在地を支配していた領主のことで、主に大名の支配領域の端に足場を築きました。大名は常に彼らに気を配り、彼らの動向が大名の命運を分けることもありました。

ドラマの始めから登場していた松永久秀も大和(奈良県)の国衆の一人で、多聞山城(奈良市)や信貴山城(平群町)を居城としていました。前者は東から奈良に入る柳生街道沿いに、後者は河内(大阪府)に接する交通の要所に位置しています。大和は、幕府が各国に任命していた守護を設置しなかったため、興福寺が力を持ち、国内の中小領主層が「国衆」として寺を支えていました。

久秀と対立していたのが筒井順慶です。俗説ですが、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変後、光秀か羽柴(豊臣)秀吉かの選択を迫られ、「日和見」の語源となった「洞ヶ峠を決め込」んだ人物です。筒井城(大和郡山市)を居城にしていましたが、一時期久秀に城を逐われたこともありました。天正元(1573)年から信長に従い、その際に命令系統の上位に就いたのが光秀でした。順慶は国内の国衆を帰順させ、天正8年に国内の城や河内・摂津のほとんどの城を破壊するよう信長に命じられます。それを機に郡山城(大和郡山市)へ移り、反対勢力を一掃します。彼は天正12年に亡くなりますが、現在では市内の長安寺町に、重要文化財の「五輪塔覆堂」だけが残されています。

大和郡山から国道24号と169号を長駆南下して高取町に入ると、貝吹山城があります。ここは越智氏の居城で、応仁・文明の乱では筒井氏と、その後は筒井氏とともに松永氏と戦っています。

国道169号の途中で166号に入ると、宇陀市の国指定史跡宇陀松山城が見えます。秋山氏の居城で、秀吉の時代には城下も整備されましたが、慶長20(1615)年の一国一城令によって破壊されました。秋山氏は大和に住みながら、伊勢の大名クラスの北畠氏に従ったこともありました。近接する御杖村の沢氏も北畠氏との関係は深かったとされています。宇陀松山城から166号を南→東へ進み、途中で県道31号に入って榛原方面へ北進すると、右側に沢氏の沢城が視認できます。

今回〝大和国衆をめぐる旅〟として、彼らの城を紹介してきました。国衆は〝地元の殿様〟として、全国至るところに存在していました。クルマには、思い立ったときにすぐにでも気になった、あるいは興味を持った場所へ出かけられるメリットがあります。知的好奇心を満たしつつ、城からの風景を楽しみながら、殿様気分(?)を味わってみてはいかがでしょうか。

大石泰史/歴史研究家。1965年生まれ。東洋大学文学部卒。静岡市文化財保護審議会委員・大石プランニング主宰。主な著書は『井伊氏サバイバル五〇〇年』(星海社)、『今川氏滅亡』(角川選書)など。