あのまちのキーパーソンに会いに
text : Yuko Tanaka, edit:Yuki Imai, photo:Yukimi Nishi

宮崎県石巻市 一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン 理事 鈴木 真悟

ダイハツの軽自動車のように、地域に根ざしたひとの暮らしを豊かにしているキーパーソンを、フリーアナウンサーの堀井美香さんが訪ねるこの企画。今回は岐阜県飛騨市へ。インバウンドツーリズムや古民家の移築、そして「飛騨ジャズ」などのイベントにも取り組む白石達史さんのストーリーをうかがいます。

丁寧に。細やかに。
飛騨から日本をガイドする。

全60世帯の集落に佇む、築70年超の古民家。玄関の戸をガラリ滑らせると、外観からの予想を裏切る明るく抜けた空間が広がっていた。窓を額縁にした山々の緑が、運転後の目を癒やす。
「土地ごとあげるって言われて、ありがたくいただきました。ボロボロで、セルフリノベーションはなかなか大変でしたけど。雪の中、外にあるキッチンで震えながら料理したり」
 そう笑うのは、15年前に飛騨にやってきた白石達史さん。大学を卒業後はカンボジアで日本語講師を務め、アリゾナの国立公園で「サボテンの木こり」として働いたのち、飛騨に移住した。住む場所として都市部以外を望んではいたものの、この土地を選んだのは「たまたま」。友人の紹介で入社することになったインバウンド事業の会社が飛騨にある—それだけの理由だった。居を移した白石さんは夜な夜な地元の店に通い、地元のおっちゃんたちと日本酒の杯を交わした。当時はまだ移住者もほとんどおらず、「何かしでかして逃げてきたのか?」と本気で心配されたという。
 熱狂的で無礼講な祭りにどっぷり浸かったり、集落の仕事に積極的に参加したりしながら、白石さんは飛騨の町に溶け込んでいった。
「何の期待もしていなかったからこそ、ないものを不満に感じることもなくて。夏の心地よさ、秋の豊かさ、冬の厳しさ、そして祭りで刻む春の訪れ……四季が巡るごとに魅せられ、毎年、どんどん好き度が増していきました」
 独立した白石さんが妻の実果さんと営むのは、ハイエンド層に向けたインバウンドツーリズムの会社だ。歴史・文化をただの情報ではなく、ダイナミックかつ正しい文脈で伝える腕利きのガイドが揃う。それだけではない。ゲストが言葉にする前の小さな要求や、本人も自覚していないような好みをキャッチ。先周りして叶えるのも大きな特徴なのだという。従来のガイドのスタンスを覆すこのきめ細かいスタイルでは、当然ながら、大人数を相手にすることはできない。「薄利多売」ができないのだ。
「ガイドの仕事は奥深い。一流の仕事をするガイドたちには、それにふさわしい報酬を得てほしいと思っています」
 さらに白石さんは、選りすぐりの全国のガイドを束ねている。たとえば北海道から旅をスタートしたゲストが東京、京都、広島と移動したとき、ガイドの連携によって彼らの情報はすべて引き継がれていく。パーソナライズされた快適な旅は楽しさを超え、日本への深い愛をも生むだろう。こうした質の高い観光を目指すなかで徹底しているのが、「地域を消費しないこと」と「住人を見世物にしないこと」だという。
「住まわせてもらって15年、たくさんの人と出会い、おかげさまでいい関係を築いてきました。彼らを利用するような観光は、絶対にしたくない。それに、地元の人との心の通ったコミュニケーションって何よりの思い出になりますよね? あの豊かな時間を作るのが僕らの役割だって考えています」
 どこまでも真摯なスタンスは、町の人にも伝わっている。「白石くんのお客さんやもんで」と、非公開の場所を案内してもらうことも少なくないのだそう。

(上)床面や壁をリノベした台所。オーブンは個人輸入で買ったそう。(中)元あった壁を壊し梁だけ残しているリビング。アールのついた白壁がこだわりのポイント。(左下)家のいたるところに木材を使用しており、見た目はもちろん手触りも心地よい。

(上)白石さんが家族ぐるみの付き合いをしている民芸店「やわい屋」。(下)店内の商品はすべて朝倉さん自らセレクト。地元・飛騨の器をはじめとした民藝品がずらり。

大変そうで楽しそう。
彼はどこまでも「町の人」

「達(たつ)くん(白石さん)と町を歩くと前に進まないんですよ。みんなに『この前はどうも!』とか声をかけられて」
 民藝の器を中心に扱い、遠方からもお客さんが訪れる「やわい屋」。古民家を移築した建物の2階には、ゆるやかな空気がたゆたう私設図書館も構えている。郷土史研究をしながら店を営む朝倉圭一さんは、飛騨出身のUターン組。同世代、長年の友人でもある白石さんを、どのように見ているのか。
「いわゆる『地域資源をうまいこと売る人』ではなく、どこまでも『町の人』。観光分野で活躍しながら、中の人の目を失わないんですよ。老舗から移住者まで、あらゆるレイヤーのブリッジになっている稀有な存在です」
 2人は、お互いの新しい挑戦について「ズレてないか? 地域を使っていないか?」など指さし確認しあう間柄でもあるのだそう。朝倉さんが「達くん」と呼ぶ声には強い信頼が滲む。
「達くんはいつも、大変そうで楽しそう。面倒くさいことを引き受けるし、美辞麗句に逃げないし、偉そうじゃない。これはね、シビックプライドのある町でやっていく上で、ものすごく大事なことだと思います」
 シビックプライド—地域に対する住民の誇り。江戸幕府の直轄地として栄えた城下町で、地場の技や商業など脈々と続く文化的蓄積が飛騨の「誇り」を担保している。その象徴でもある旧い街並みの中にたたずむのが、重要文化財の日下部民藝館だ。日下部家13代当主の勝さん・暢子さんご夫妻は白石さんら地域の人の力を借りながら、アーティストとのコラボや音楽イベントなどを実現した。「この街の若い人がよく口にする、一丸となってバラバラという言葉があって」と暢子さんは語る。
「それぞれ本業があれど、祭りや催しがあれば集まり、惜しみなく力を出し合う。白石さんはじめ、そんな若い方々に刺激をもらっています」
 日下部民藝館は2023年、明治時代の建物を活かした1日1組の宿「谷屋」をオープンした。その際、もともと親交の深かった白石さん夫妻が、部屋に置く調度品からハイエンドな宿泊客への接客まで、ありったけの知識と経験を伝えてくれたのだという。
「白石さんは、飛騨の土地が海外の方にどう刺さるのかを直感的にも戦略的にも捉えています。本当に勉強させていただくことばかりですよ。彼のお仕事は、飛騨高山のひとつの基準になるでしょうね。とても高い基準に」

(上)やわい屋の店主、朝倉さん。飛騨出身で、Uターンして店を開いた。(下)朝倉さんは『わからないままの民藝』(作品社)などの著作をもつ文筆家でもある。

(左上)築150年の古民家を移築した店舗兼住居。縁側を抜ける風が心地よい。(右上)やわい屋にある私設図書館。約2,000冊の蔵書が棚を埋める。(左下)全国各地の窯元や工芸作家を巡り厳選された品々。(右下)中央に佇むのは、ひとつ目の妖怪「雪入道」。飛騨の木工職人である奥井京介さんの作品。

(上)飛騨の街中にある旧い街並み。国内外問わず多くの観光客が訪れるスポット。(中央左)暢子さんは「飛騨を盛り上げたい」との思いで、白石さんをはじめとした若い世代の活動を応援している。(中央右)日下部民藝館は2025年の飛騨ジャズのメイン会場としても使用された。「谷屋」はこの隣で宿を営んでいる。(下)日下部民藝館の内観。約13mの赤松を使用している梁、3階の高さまであるという吹き抜けは開放感抜群。

骨をうずめる覚悟より
関わり続ける軽さを

今年8回目を大盛況で終えた「飛騨高山ジャズフェスティバル」。白石さんはその発起人だ。地方の宿命、最新の文化を享受しづらい地元の人たちに音楽を楽しんでもらうため、始めたという。いまや全国からファンが訪れるイベントに育ったが、白石さんの目は1回目と変わらず「内」だけを見つめている。
「外の人を呼ぶことは意識していないかな。運営や設営も、ほぼ100%地元の人にお願いしていますしね」
 自分が町を盛り上げる—白石さんにそんな気負いはない。注目されても一歩引き、ただフラットに「在る」。今後も飛騨で生きていくのか? そんな問いにも軽やかに答えてくれた。
「ここの人たちが大好きだしいまは離れる理由がないですけど、逆に骨をうずめるぞとも思っていないんです。ただ、どこにいたって、ずっと関わり続ける土地になるだろうなと思います」
 さらりとそう言える軽さもまた、飛騨の魅力なのかもしれない。

飛騨市内を流れる瀬戸川沿いを歩く堀井さん。瀬戸川はかつて農業用水などに使用されていたが、50年ほど前に地域住民が川の美化を目的に鯉を放流。今では観光客に人気の写真撮影スポットになっている。

堀井美香の取材後記

堀井美香

堀井美香/1972年生まれ。95年から勤めたTBSアナウンサーを2022年3月に退社したのち、現在はフリーランスアナウンサーとして活動中。ジェーン・スーさんとの大人気ポッドキャスト『OVER THE SUN』を配信している。秋田県出身。

 白石さんはとにかく飛騨高山のことを沢山話してくれた。推しの魅力を語りたくてしょうがない人みたいに。海外放浪経験で得たコミュニケーション能力とかお人柄もあって、行く先々で地域の方との会話も弾む。幸せそうに話す白石さんに伝染して私まで不思議と飛騨に愛着が湧いてくる。私が訪れた夏の時期、山は太り滴り一面青々とした緑に囲まれていたが、白石さんはもう薪の準備に取り掛かかるのだと言っていた。ここから秋の時期、山はオレンジに燃え、そして真っ白な冬がやってくる。季節は鮮やかな色を生みだし、美しい色の中で人々は生活する。東京から新幹線と車で約5時間。途中、長い山道もあり、そうそう簡単に来られる場所ではない。不便なこともあるだろう。でも飛騨に暮らしているという誇りは容易に都会のコピーになびいたりもしない。無い物は作り出すし、頼り合えばいい。そう言って笑う白石さんもまた飛騨のように剛健な人なのだろうと思った。