読みたいコト

〝あの町〟の短編小説
芥川賞受賞作家、高山羽根子さんの作品です。

犬を運ぶ 高山羽根子

text:Haneko Takayama
Illustration:Gao Yan

空港で待ち合わせましょう、みたいな雑なダイレクトメッセージで待ち合わせができると、それ以前がどのくらい不便だったか忘れてしまいますよねえ。と、その女性は朗らかに言った。

いや、厳密にいうと女性たち、だった。

ふたりのその女性は、おそろいのオレンジ色のTシャツを着ていて、そこに、たぶん彼女たちの所属するボランティアチームのものだろうロゴマークがプリントされている。文字の一部が犬の足跡というか、肉球の形にデザインされているロゴで、それを着て同じように笑う彼女たちは、たぶんふたりとも私の母くらいの年齢だった。

彼女たちは、自分たちのTシャツと揃いのようなオレンジ色をした車に乗って、空港の車寄せに入って来た。停めた四角い車の後ろを開けて、樹脂でできた直方体の容器をひとつ引きずり出した。

容器の一面が出入り口として使える格子扉がついていて、その中には、低い姿勢をとって薄暗い奥に身を潜め、不安げに目線をさまよわせる生きものがいた。薄い茶色の、耳の垂れた犬だった。赤ちゃんとは言えないくらいの、でも成長しきっているわけではない若い犬。4カ月越えていないとダメな便というのがあって、ほんとうは赤ちゃんのうちに運べたほうが良いのだけどね、と、ふたりのうちのひとりが言った。残りのひとりは、暑いですねえ、と、首に掛けたタオルでおでこのあたりを拭きながら容器の扉部分から犬のようすを覗きこみ、口をとがらせてトットッと音を出す。女性たちは、揃いのTシャツに揃いの似た笑顔で、

「よろしくお願いしますね、ほんと、助かっちゃう。ありがとうございます」

と言った。

私はこの犬を飼うわけじゃなかったし、飼うつもりもない。私がこの犬にしてあげられることは、宇部空港から羽田まで運ぶことだけだったし、もっと言えば、運ぶのは飛行機で、だから私はつまりこの犬に何もしないのだ。

業者に頼んで生きものを運搬するには、想像以上のお金がかかるらしい。特に飛行機の距離になると。でも保護犬の移動にはあまりお金を掛けられないので、そういうときには、飛行機で移動する人の手荷物として運んでもらうようにするのだそうだ。それにしたってちょっとした手数料はかかるけれど、業者に頼むよりはずっと安くあがるらしい。運び屋的なトラブルを避けるために運ぶ側もボランティアとして一時的な登録をしたり、多少の手間はかかるけれど、到着する羽田空港のほうにも、便名やこっちの名前も知った上で待っている別のボランティア団体の人がいるので、実際に私はその犬の世話をほとんどする必要がないという。

山口県からなんで東京に犬を運ぶ必要があるのか、と妙に思っていたけれど、どうやら、このあたりでは犬が保護されることが多いのだという。そうして保護犬を譲渡できる可能性は人口の多い都市部ほど高くなるのかもしれない。そうでなくとも、この移動が必要であるからには、きっとなんらかの理由があるのだろう。

犬は、あまりの恐怖にかえって感情をシャットダウンさせてしまっている様子で、声を上げることもなくじっとしている。たまに近くでなにか音がするとびくっと体を震わせた。こんなようすで、貨物として積まれ、あんな大きな音を出して揺れる鉄の塊に乗って大丈夫なんだろうかと心配になってくる。

ちょっとばかり気の毒にはなるけれど、でもどうやらひとまずこのやり方は、この生きものが生き残るため今のところいちばんましな方法なんだろう。私は説明を受けたとおりにチェックインを済ませ、荷物としてその生きものを飛行機に預ける。私のできることは、ほぼそれだけだ。

オレンジ色の服の女性たちは、ほんとうに明るくて楽しげだった。あまりにも楽しそうだったので、つい、

「ずいぶん楽しそうですね」というと、

「こんなふうにうまくいくときは、このことやってよかったって感じるなによりの瞬間ですからね」

と、やっぱりふたり、似た表情で笑う。

きっと彼女たちは、毎日のこういう作業の中で、それなりに気の毒でつらい場面に出会うんだろう。

いまのこの世の中で、こういう生きものに対し厳しいできごとがとても多いということぐらい、なにも飼っていない私にだってわかる。その状況はきっと、国内ならどこもさほど変わらない。でも、いちおう私たちは、すこしでもましな場所に、犬が歩くよりももうちょっと遠くまで、もうちょっと速いスピードで移動させてあげられる。彼女たちのオレンジの車と、私の乗る飛行機、そうして、羽田で待つ、やっぱりきっと同じように笑って迎え入れる人たちの車のリレーで。

高山羽根子/小説家。2010年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、16年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。20年、『首里の馬』で芥川賞を受賞した。