描きたいコト

日本各地、コトづくり旅 vol.5 瀬戸内漂白

illustration&text:Amigos Koike

瀬戸内漂白

「あの酒を造ったの私なの」

2008年のある日、広島からメールが届いた。近所の酒屋で勧められて買った酒「富久長」が美味しくて、仕事で呼ばれたネットメディア『ほぼ日』に土産に持っていったのがブログに載った。それを見た杜氏の今田美穂さんが連絡をくれたのだ。

「え? 美穂さん!」

彼女との出会いは1987年だったかなあ。船橋の百貨店に勤めている、小柄で華奢で、見るからに文化系な女性が、駆け出しのイラストレーターのボクに仕事をオファーしてくれた。その後、彼女が主催する落語会に参加したりするも、1994年辺りで音信不通になる。

それから14年。都内で久々に再会した彼女は、なんだか逞しく美しいぞ! 彼女が酒造りをしている今田酒造は、広島県の安芸津という町にあること。今田酒造はそもそも実家であり、1994年にUターンし杜氏修行を始めたこと。その地の伝統的な酒米「八反草」を復活させ酒造りをしていること。小柄で華奢な女性の残像がどんどんと薄れ、「今」を語る今田美穂という人間が輝いて見えた会話。

「美穂さんの蔵、今度行くね!」と言って別れてからさらに14年。ボクは広島を目指す。

尾道・向島

瀬戸内海に面した安芸津。東から向かう途中に尾道。ならば向島のチョコレート工場、〝ウシオチョコラトル〟にも寄ってみよう。うちの近所のコーヒースタンドで見つけたチョコレートは、パッケージのデザインも、カカオと砂糖だけの味わいも面白くて、これを作っている場所に行ってみたいと思っていたんだ。

38年ぶりで3度目の尾道だけど、向島に渡るのは初めて。尾道水道を10分間隔で往復する渡船。それを利用する自転車通学の学生たちを羨ましく思い自転車をレンタル。110円の船賃でエレガントな4分間の船旅。そこから海沿いのしまなみ海道を駆ける気持ち良さ!

……が、地図で見た「すぐそこ」の印象とは違い、走ること1時間。最後は急な上り坂の山道。チョコレート1個買いに行くのに滝のような汗だぜ。

「はじめまして」のウシオでフレンドリーに迎えてくれたのはヤッさん。2014年に立ち上げたウシオの初期メンバーで、突然汗だくで現れたボクの質問一つひとつに楽しそうに答えてくれ、その中にはボクの友人の名前も散りばめられているのが嬉しい(面白いことやるヤツは必ず繋がる)。8年続けてこられたことの大変さを口にするも、それ以上に人との関わりで育ってゆく現場作りが楽しくて仕方ないみたい。

勧められて飲んだ「カカオソーダ」の味わいの思いがけぬセクシーさを伝えると、「セクシー、新しい方向性っすね〜」だって。また来るぜ! と店を後にするも、そうだ、帰り道も自転車で1時間だった。

自転車を返して、晩めしはピザ屋〝トランクイッロ〟へ。開店したばかりの8年前に行った店だけど、その時もよく歩いて汗をかいて、無性にイタリアンを食べたくなって飛び込んだら大当たりだった記憶。店主さんに開店当時来たことを伝えると、「その頃より変わったでしょう」と自信満々の表情が返ってきた。「はい」とボク。瀬戸内の気候とピザとワインのマリアージュ、体に沁みる美味しさ。そして尾道は土砂降りの雨。

安芸津

一夜明け安芸津も雨。

かつては海上物流の拠点だったという安芸津の街から、往年の繁栄の名残を感じて歩いてゆくと今田酒造。古い蔵だが明らかに現役の顔をしている。

若い女性スタッフさんが「×××× アッミィ〜ゴー!」とスペイン語らしき言葉でテンション高く歓迎してくれた。酒造りといったらガンコで無口な杜氏さんが出てきそうなものを、いいな〜この軽さ。

「美穂さん、やっと来れたよ〜!」 〝我が蔵〟で再会した美穂さん、東京で会うよりずっとリラックスして見える。日本の女性杜氏、いや男女を超えたトップランナーのひとりで、イギリスのBBC放送が選ぶ『今年の女性100名』に選ばれたこともある彼女。メディアや東京での姿がファイティングポーズをとっているように見えるのに対し、安芸津では実に自然。そしてやはり酒造りの話が面白い! 1994年に家業を継ぐことを決めてから28年。酒造りに適さない軟水の土地だからこそ、「百試千改」の研鑽が重ねられ、日本有数の酒処となった土地で、美穂さんのやってこられたのは28回の酒造りなわけで、「28年やっても酒造りって難しいね」って。でもその楽しげな口調は恋を語る28歳の女性のようではないか。

「酒米は麹菌が育つための土って言えるから、酒米を蒸すってことは、土を作るようなものなの」

その日の気温や気圧によって微妙な調整を施し米を蒸すとか、やっぱり酒造りは面白い!

「ちょっと案内するね」と美穂さん、雨の安芸津を西から東まで。度々豪雨被害に遭うという山と海に挟まれた土地は、それでも人がここを選んだ意味がよくわかる豊かさの中にあります。雨で空も海も灰色の柔らかなグラデーションに包まれた風景の中に立ち、しばらくぼ~っと。こんな時間は「効率」という言葉では割り切れぬ深い想像力を人に与えてくれるね。そしてこの土地に舞い戻った人が造った酒を旨いと思えた自分が愛しいぜ。安芸津。

雨の桟橋を傘さして歩く小柄な女性の後ろ姿を見ていたら、どうしても出合っておきたいことを思いつき、東京に帰る予定を変えて呉へ。映画『この世界の片隅で』の舞台である呉。主人公・すずさんが歩いたであろう、軍港のあった街から高台にある嫁ぎ先の家まで歩いてみた。戦争は、すずさんが大好きな絵を描く右手とまだ幼い姪っ子を奪う。杖と傘を頼りに一歩一歩確かめるようにして坂道を行くお年寄りの後ろ姿。すずさんが今生きていたらこれくらいの年齢だろうか? ボクの想像は浮遊し「美穂さんはいつまで酒を造り続けるのだろうか?」なんてことを考えている。すずさんの家があった場所に着くと、昔はよく見渡せたはずの呉港が、今は立ち並ぶビルに隠れてよく見えなくなっていることを知る。「戦争」「復興」「未来」そんなことをぼんやり考えていると、足は自然と広島へ。

広島

雨が上がり、炎天下の広島の街を、日陰を選びながら平和公園まで歩く。志を持ちチョコレートや酒を作ろうとする人がいる。しかし、そうした志を一瞬で消し去ってしまう力というものがこの世界にはある。角打ちをやっている酒屋で、広島の酒を一杯。

2022年夏。東京の家に帰って、ボクはどんな絵を描けばいいのかを考えている。

小池アミイゴ/イラストレーター。 書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。2022年、『はるのひ:Koto and his father』(徳間書店)にて第27回日本絵本賞を受賞。