読みたいコト

〝あの町〟の短編小説
芥川賞受賞作家、高山羽根子さんの作品です。

うまれた場所高山羽根子

text:Haneko Takayama
Illustration:Gao Yan

大賞にはなりませんでした、というような内容の電話連絡がきたとき、それでもいちおう名前だけは載せるかもしれないので念のため生年月日と出身地をこちらにお知らせください、というようなことを、ついでみたいな感じで編集さんに簡単に説明された。

「出身地って、生まれた場所ってことでいいんでしょうかね」

とたずねると、編集さんは、うーんとすこしのあいだ考えて、

「たぶん厳密な正解というか、決まりってのはないと思うんですけど、自分がここでいいかなと思うところでいいんじゃないでしょうか。今は昔みたいにずっとひとつのところで生まれて育つわけではないですし、長くいたからって必ずしも自分の人生になにか重要な場所だったとも限らないですしね」

と、たぶんそのときはどちらとも、このことがそこまで重要なものだと考えていなかったと思う。

小説家も画家も、ゆかりの地というのは人生のうちの数年間、へたしたら半年だけいた場所だったりする。前に住んでいたアパートの近くにも、漫画家のゆかりの地があった。長く生きた人は当然、そういう場所があちこちにあるものだった。

電話を切ってから、そういえば最近いつ帰ったかな、と思い起こす。

そうだ、去年の春ごろ、北陸という寝台車がもうじき無くなるとかいうので乗りにいったんだった。いわゆるブルートレインという名前だけは聞いたことがある寝台車付きの列車を、こんな大人になるまで乗ったことがなかった。窓付きのカプセルホテルのような個室寝台、パリッとしたシーツとJ R柄の浴衣、直接あたるとちょっと強すぎるエアコン、たまに停まる明るいけれど人のほとんどいない駅。

幼いころ家族で富山に行くときは、父が運転する車で高速道路を使っていた。当時はそういう家族がすごく多かったんだろう、帰省ラッシュのときは道路もサービスエリアもすごく混んでいた。それでも、めいめい勝手に動き回り喋ったり歌ったりする小さい子ども三人の親にとって、さほど広くないとはいえそれぞれの席のある自動車というシステムは安心だったのかもしれないな、と、今となっては思う。

当時は道の駅なんていうものもなくて、サービスエリアに並んでいる自動販売機には、なんでもないカップコーヒーでもアイスでも人が群がっていた。そういえばハンバーガーとカップヌードルの自販機はサービスエリアには必ずあったし、うどんやそばの自販機も見かけた。大きなサービスエリアのトイレはびっくりするほど広くて、見渡すかぎり個室が並んでいたのに、それでも埋まっていてさらに長い列ができていた。国道に降りれば、今よりも珍しかったコンビニやファミレスに入るため車が並んでいる。思えばあの時代は、すごくたくさんの家族連れがいたんだった。

大きくなってひとり暮らしをするようになって、ちょっとした用事で 行くときには越後湯沢からほくほく線に乗り換えていた。雪の時期は運行がとても不安定になる電車だったので、富山駅にたどり着くのがずいぶん遅くなることもあった。

富山駅には当時からいろんな電車が乗り入れていた。J Rのほか地方鉄道網みたいなものがいろいろあって、港の方面や黒部、宇奈月方面に向かう路線のほか、市内をあちこち進む路面電車も細かく出入りしていた。神通川の河川敷には小さいけれども空港があって、日に何便か羽田との行き来がある。

一度だけ、どうしても仕事が忙しいけれど行かなくてはいけないときがあって、深夜バスを使った。くたくたにくたびれていたはずなのに、どうにも眼が冴えて眠れなかった。今みたいにスマートフォンで動画なんかを気軽に見られる環境にはなくて、イヤフォンで音楽を聴きながら、窓ガラスとカーテンとの間に頭を突っこんで、外に並ぶランプを見ていた。あの当時のろのろして一向に動かなかった車は、ETCや路面の整備が進んだからか、幼いころの記憶よりずっと揺れも少なく快適だった。途中、休憩のために入ったサービスエリアもやっぱりイメージで記憶していたところとはずいぶん違い、混んでもいなくて清潔だった。明け方の空の色と自販機から流れる電子メロディが、なんだかとても心地良かった。

その家に行くと母親がもう先についていて、親族がみんな、着物なんかを着て忙しそうにしていた。このあたりの引き出物の定番、大きな魚の形のかまぼこを持たされた。もうじきこっちにも新幹線が通るんだって、という噂はその頃から聞いていたような気がする。

あの街に行くための手段というのは、子どものころからずっと、いくつもあった。にもかかわらず、帰る用事は歳をとるごとに減っていく。姉妹や従姉妹たちだって新しく別の場所に家族をつくるし、その場所にとどまっていない人のほうが多かった。

ここに富山県と書いて編集部にあててメールを送れば、富山が出身地ということになる。生まれた場所だからそれはまったく嘘ではないのだけれど、子どものころ多くの時間を過ごしたのは神奈川県か東京都だし、もうすっかりいい大人なので都内に引っ越してきてからのほうがうんと長い。

それでもたぶん、やっぱり自分の生まれた場所にはその地名を書いたほうがいいんじゃないだろうか、と決めたんだと思う。

高山羽根子/小説家。2010年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、16年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。20年、『首里の馬』で芥川賞を受賞した。