
蔵の中にあるものはあらかた片付いたみたいだった。
「うわーほんとうに助かったわー、こんなに早くここまで片付くなんてねえ」
といって松下さんはよく冷えた麦茶の入ったグラスをお盆に載せて出してくれた。陽介は、埃除けに付けていたマスクを外して麦茶を飲みながら、蔵の中を見渡す。蔵、というか、物置のようなものだった。中には電気が通ってないらしく、明るいうちに掃除をすませてしまいたかったからと手伝いに招集されたものの、陽介が来る前にはすでに思いのほか整理されていた。手伝いを頼んできた職場の松下さんも、この中に納まっている品物についてはあまり詳しくないらしく、ここのものはどうしますかと聞いてみても、さあ、とか、ううん、とかいうふうに要領を得なかった。あとは処分するものを詰めた段ボール箱をトランクに積んで、これを市のセンターに持っていけば片付けは終了ということらしい。
「いや私もね、この家には嫁に来た身だからさあ。まあ、お父さんだって、あんまりよくわかっていなかったっぽいけどねえ」
松下さんは蔵の中を見渡して満足そうに言った。
「あれ、なんですか」
開け放たれた蔵の入口で麦茶を飲んでいる陽介は、蔵の一角を占める木の箱を見ながら言った。陽介が立って入れるくらいの背の高い、箪笥よりはずいぶん薄べったい木製の箱だった。引き出しではなく、扉があるように見えた。
「うーん」
と松下さんは唸って、ちょっと待っててと言ってどこかに行ってしまった。
松下さんの旦那さんは、十年前に亡くなっている。息子さんはふたりとも独立しているらしい。今回亡くなったお父さんというのは松下さんの義父だった。陽介の母親くらいの年の松下さんは、転勤で南国市に来たばかりの陽介のことを細かく気にかけてくれて、その代わりというわけではないけれど、陽介もこういうちょっとした手伝いは積極的にしていた。
松下さんが、てててと小走りに戻って来ながら、
「トメバコだって、トメバコ」
と、なぜかすごく満足そうに答えた。
「トメバコ?」
「そう、トメバコ」
「トメバコ……って、なんですか」
また、しばらくのあいだ松下さんはううむとうなりながら、また同じ方向にすたすたと歩いて行き、こんどは松下さんよりももう少し年上だろう男の人を連れてきた。篠原さんという、西の角地に住んでいる人らしい。松下さんのお父さんの、長い友人だったという。
「ああそうそうこれ、止め箱」
篠原さんは、手を伸ばして扉を開く。電話ボックスのような、あるいはすごく狭いひとり用のサウナにも見える空間があった。
「ここに入れるんだ」
「何をですか」
「とりよ、とり」
「とり」
陽介がぴんと来ないふうに繰り返したのに、なんだ知らないのか、とり、と言いながら、また戻ってしまって、すぐに、なんか平たい板状のものを抱えてきた。見せてきたそれは額縁に入った古い写真だった。鶏がちょっと高さのある木の棒に留まっている。それはたしかに鶏、なんだけど、しっぽがすごく長くたれさがり、地面についてもさらにぐるぐると広がっている。
このあたりには、しっぽの長い有名な鶏というのがいたらしい。
「ふたりとも、この辺の人じゃないから、わからないのかあ」
と、篠原さんは言った。どうやらこの鶏はあたりにしかいなくて、聞いているとどうやらこれは自然界で野生にいた種類ではなくて、品種改良で少しずつ長いものになっていったらしい。江戸時代には士族が副業でこういう品種改良をよくやっていたというのは陽介もなんとなく知っていた。朝顔とか菊、金魚やなにか。
この止め箱というのは、長いしっぽが傷ついたり抜けたりするのを防ぐための飼育箱で、この箱が作られる前は雨戸の戸袋で買われていたらしい。
数が減ったきっかけは戦争だったという。人間の手によって改良された、ただでさえ自然界では生き残ることが難しいその生きもの、お金と手間のかかる、でも特別に何かの役に立つわけではないこの鶏は、数をどんどん減らしていった。
「イギリスにはヨコハマっていう、とりがいるんだよ」
「ヨコハマ」
「そう。ヨコハマはしっぽの長いとりだけど、見た目が似ていても、種類が違うんだそうだ。そもそもこのとり自体、品種のかけ合わせがほんとに複雑なものだから」
篠原さんの言うのに頷いて、
「なるほどねえ、イギリスのヨコハマがねえ」
と、松下さんはやっぱり、すごく満足そうに言った。
高山羽根子/小説家。2010年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、16年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。20年、『首里の馬』で芥川賞を受賞した。